後藤奇壹の湖國浪漫風土記

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~滋賀の歴史・文化・昔話&徒然探訪記~

白川郷の秘湯“藤助の湯ふじや”(後篇)

5月 16th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

“湯治目的”と銘打っておきながら、肝心要の「温泉」の紹介が未だでございました(>_<)

 

 

もちろん「源泉掛け流し」でございます。源泉は平瀬の東方を南北に流れる庄川の上流、「大白川ダム」近辺より引水され、温度は92.5℃(平瀬温泉到達時60℃)。泉質は含硫黄・ナトリウム・塩化物温泉です。

 

また子宝の湯とも呼ばれ、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、うちみ、慢性的な消化器系疾患、痔疾、冷え症、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱体質の児童、慢性の婦人病、糖尿病などに効用があると言われています。

 

 

写真はふじやご自慢の貸切露天風呂。“早い者勝ち”というシステムがユニークです。ここのお湯は、肌が“つるっつる”になること間違いなしです。

 

 

ではここからは趣向を変えまして、奥飛騨 MY スケッチブックをお届けいたします。偏屈な私でございますので、“観光ガイドマップ”に掲載されるような場所は一切ございません。また近代的観光地と化した「白川郷」にも余り興味がございませんので、ここでは割愛いたします<(_ _)>

 

 

今回の旅で最も驚きましたのは、近隣の山々には多くの残雪があったことです。

 

 

隣の県とはいえ、ポカポカ陽気だった滋賀とは雲泥の気温差でした(“もしや”と思い持参した防寒着が大活躍でした)。

 

 

どうです、猛暑日連日の中で“一服の清涼剤”となりましたでしょうか?

 

 

なお平瀬へ通じる国道156号線の沿道には、たくさんの雪が残っていました。

 

 

滋賀では4月半ばの暴風雨で散ってしまった桜も、何とここでは「今まさにこれから」といった様相。

 

 

 

近隣の山々の雪景色を眺めつつ、開花し始めた桜を愛でるのもまた一興です。

 

 

 

ちなみに傍らのバス停には、平日・休日に関わらず1日1本しかバスがやってきません((+_+)) 

 

 

 

 

つまりここ平瀬では、バスで出掛けたら必ず「二日掛りの旅」になるというワケです。

 

 

さて、この平瀬では地元の不動産会社が田舎暮らしを推進している模様。

 

 

が・・・地価は激安なものの、反応は“イマイチ”のようで。

 

 

確かに「静かに暮らす」には絶好の場所なのでしょうが、如何せん公共交通機関が不便の極み。

 

 

役場や病院、警察や消防署も超遠方。

 

 

何より普段の食料や生活必需品の確保に事欠くのでは、なかなか難しいでしょうね。

 

 

側溝に流れる山清水は、何もせずそのまま飲用出来そうな程キレイなのですが・・・。

 

 

最後に「観光地らしいスポット」を1つだけご紹介いたしましょう。スイマセン、当日天候不良で良いショットが撮れませんでしたので、9年前の秋に訪問した際の写真を代用させていただきます。

 

 

帰雲(かえりくも)城跡です。白川村の中心街と平瀬の中間点、国道156号線沿いにあります。

 

 

 

こちらのポイントは前にある石碑ではなく、バックに映る帰雲山の“山崩れ”です。

 

 

 

今から約430年前、戦国時代のお話。

 

 

 

ここには当地の有力武将・内ヶ島氏の居城、帰雲城とその城下町がありました。

 

 

天正13年11月29日(1586年1月18日)。現在の岐阜県北西部を震源地とする天正大地震が発生。城と城下町は瞬時にして帰雲山の山崩れで埋没。城主を始め一族・家来・民衆全てが犠牲となり、内ヶ島氏は滅亡してしまいます。

 

 

ここで歴史豆知識。

 

 

この頃近江・長浜城には、羽柴(後の豊臣)秀吉の命により“山内一豊”が在城していました。しかし天正大地震で城が全壊し、当時一豊の一粒種であった長女の与祢(よね)がその犠牲となっています。滋賀でもこれだけの被害が発生していますから、非常に強い地震であったということが伺えます。

 

 

また内ヶ島氏は莫大な私財を抱えていたと言われ、歴史ファンの間では埋蔵金伝説が残ることでも有名です。

 

 

それにしましても、通常山火事や崖崩れがあっても数年後には緑に覆われるのに、この山崩れは400年以上経過してもほとんど草木が生えていません。いったい何がそうさせるのでしょうねぇ?

 

 

さて話題を“ふじや”に戻しますが、非日常を堪能するには打ってつけのお宿です。私が9年前に初めて訪れた際は、まだ東海北陸自動車道が全通しておらず大変不便な思いをいたしました。

 

 

でも現在は白川郷インターチェンジも開設され、アクセスも随分便利になっています(残念ながらあの休日1,000円キャンペーンさえ残っていれば・・・などと思いますが)。

 

 

宿泊料金もサービスと満足感に比較してとてもリーズナブルですので、是非訪れてみてください。また秋の平瀬もオツなもんです。こちらの紅葉のピークは例年ですと10月上~中旬となりますので参考になさってください。

 

 

藤助の湯 ふじや

・岐阜県大野郡白川村平瀬325-1
・TEL. 05769-5-2611
・URL/http://www.tousuke-fujiya.com/

 

 

【訪問されるにあたって】
前篇でもお話しいたしました通り、近隣に病院がございません。仲居さんとお話ししていたのですが、緊急時に救急車を要請しましても到着まで最短20~30分。そこから高山市もしくは隣の富山県南砺市の病院へ搬送されるまで約1時間30分~2時間を要します(冬季はその2倍の時間)。体調に不安を抱えていらっしゃる方は、万全の備えをなされることをおススメいたします。もちろん交通事故等、警察の出動要請も同様ですのでくれぐれもご注意ください。

 

 

追伸 2日目の朝食の御飯があまりにも美味しかったので、残すのも忍びなく・・・

 

 

また板場にお願いして“おにぎり”にしていただきました。

 

 

こんな無理も結構聞いていただけるのです(^_^)v

 

 

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白川郷の秘湯“藤助の湯ふじや” (前篇)

5月 9th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

ゴールデンウイークは如何お過ごしでしたでしょうか。期間中、近年稀にみる“異常気象”でしたよね。おまけにそれに起因する天災や事故の連続……一体全体この世はどうなってしまうのでしょうか?不安で不安でおちおち昼寝もできやしません(>_<)

 

 

さて今回は趣向を変えまして、県外のMY隠れ家をご紹介いたしたいと存じます。『浪漫回廊の旅外伝』という新たなカテゴリーを設け、地元・滋賀に是非見習って欲しいコンセプトを持ち備えたスポットを時折公開して参りたいと思います。

 

 

本当はあまり知られたくない隠れ家中の隠れ家なのですが・・・日頃ご愛顧いただいている皆様へ「喧噪忘却」をお届け出来ればと存じます(^_^)v

 

 

場所はお隣の岐阜県・・・と申しましても、岐阜市などの中心街ではございません。

 

 

何と奥飛騨地方の最北。もうほとんど「石川県」や「富山県」と言っても過言ではないエリア、白川郷です!

 

 

「な~んだ、あの“世界文化遺産”の白川郷なら知ってるよ」と反応されるのは想定の範囲内であります(^^)

 

 

実は同じ白川郷でも、合掌造りの古民家がある中心部からさらに南下すること15.8km!

 

 

そこにお目当てのスポット、平瀬温泉(ひらせおんせん)があります。

 

 

平瀬温泉?・・・ご存知の方はかなりの“温泉通”です!

 

 

ここは「ひなびた温泉地」と表現するに相応しい場所でございます。半径15km圏内に、交番・消防署・コンビニ・喫茶店・・・ありません。さらに半径30km圏内に、駅・病院・スーパー・ファミレス・・・ありません。集落をかすめて通る唯一の交通インフラである国道156号線沿いに、3年前“道の駅”がオープンした以外は全くな~んにも無いのです(>_<)

 

 

この平瀬温泉には日本秘湯を守る会に加盟する温泉宿がございます。

 

 

それが今回おススメいたします隠れ家、藤助の湯ふじやです。

 

 

訪れましたのは、今年のゴールデンウイーク真っただ中!妻がおもむろに問い合わせましたら、奇跡的に1室空きがございました(^^)v

 

 

残念ながら氷雨&轟雷に見舞われましたが、その影響か観光客が少なく、“湯治”目的で参った私たちにはかえって好都合でした。

 

 

“ふじや”です。

 

 

自然豊かな平瀬の郷にとてもマッチしています。

 

 

 

ちなみにコチラは別館で、古くからある本館「ふじや旅館」は道路を隔てた向かいにあります(本館はアミューズメント性が低い分少し宿泊料がリーズナブルです)。

 

 

今回はこちらの別館にお世話になりました。

 

 

中に入ります。古民家の佇まいは、とても落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

 

 

中央にある大きな薪ストーブが、この旅館のシンボルです。

 

 

この地域は暑い時期が短いせいか、比較的いつでも火が入れられています。

 

 

チェックインしますと、ここか畳の間にて美味しいお茶と和菓子でもてなしていただけます。

 

 

仲居さんに部屋まで案内いただくのですが、館内のあちらこちらに季節の生け花や時節に合った飾り付けが施されています。

 

 

そこに隙は全くありません。

 

 

日常を忘却させるに、完璧な“もてなし”の心配りで溢れています。

 

 

その中でも一番のお気に入りの場所なのが、母屋と宿泊棟を結ぶ回廊です。

 

 

理由は特にないのですが、このほんのりとした光に照らし出された少し傾斜のある通路に、何とも言えない趣を感じるのです。

 

 

次はお料理をご紹介いたします。妻ともども、ここのお料理にゾッコン惚れ込んでいるのです。

 

 

正直申し上げて、“ハズレ”というものがございません。ですから全てをご紹介したいのは山々なのですが、紙面(?)の都合もございまして、その中でも随一のメニューをピックアップいたしたいと存じます。

 

 

やはりここは一番飛騨牛です。

 

 

飛騨牛は比較的サシ(脂身)が多いので年配の方には敬遠されがちなのですが、ここで具されるお肉はとてもバランスの良いモノです。

 

 

写真は陶板焼きですが、この他に刺身も提供されます。

 

 

“近江牛贔屓”の私も一目置いております(^^)

 

 

そしてもう一つ外せないのはツキノワグマの熊汁です。

 

 

地元で捕獲された熊にこだわっておられると聞き及びました。

 

 

熊の肉はとてもクセが強いので敬遠されがちなのですが、ここではとても上手く調理されています。

 

 

なお今回板場のご厚意で、もう一鍋追加で所望いたしました(笑)。

 

 

ちなみに「熊の肉を食べると出世する」そうですよ!・・・私はいつ出世するのやら<(ToT)>

 

 

その他にも、イワナの塩焼き・山菜料理や自家製の朴葉味噌・漬物・アイスクリームなど甲乙付け難い料理が満載です。

 

 

う~ん、まだまだお話ししたいことがいっぱいあるのですが、どうやら今日1日でご紹介し切れそうにありません。続きは後篇で・・・

 

 

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“穴場イチゴ狩り”&“ハシゴうどん(?)”

5月 2nd, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

もともと本日は記事お休みの予定だったのですが・・・穴場情報をどうしても書き留めておきたくて、急遽“緊急開店”いたしました(^_^)v

 

 

今回家族にせがまれて、もう何年振りかも記憶にないほどのお久し振りでイチゴ狩りに赴くことに。

 

 

あんまり気乗りはしていませんでした。なにせ「○○狩り」というイベントにいい想い出がないもので・・・

 

 

あ、紅葉狩りは別ですよ。ハナっから食べ物じゃないですからねぇ。

 

 

でも大阪・箕面の“紅葉狩り”は、何と食べることが出来るとか!?・・・スイマセン、脱線しました<(_ _)>

 

 

気乗りの無さが災いしたか、生憎の雨模様・・・しかも暴風雨(>_<)

 

 

まずは土砂降りの中、受付のある道の駅・あいとうマーガレットステーションに午前9時前到着。

 

 

直ぐ近くにあるものと高を括っていたら、係りの方に地図を渡され、ここからさらにクルマで約5分と言われて気分ゲンナリ・・・(T_T)

 

 

いまいちパッと理解できない地図を頼りに、国道307号をさらに南下。妹(いもと)北交差点を左折し、東進すること約800m。

 

 

お目当ての場所の看板に巡り合えました。

 

 

農業倉庫横の狭い空き地に、農園に方の誘導で駐車。土砂降りの中、ご苦労様です<(_ _)>

 

 

一段低い場所にビニールハウス群が見えて参りました。ここがイチゴ狩りの本丸でございます。

 

 

観光地っぽさもなく、ここが「イチゴ狩り農園」と言われなければ、ごくフツーのビニールハウスです。

 

とにかく笑顔の素敵な農園の方々の誘導に従って、雨を避けるように入園。チケットと引き換えに、イチゴのヘタ入れと練乳1個を受け取ります。

 

 

ここでは3軒の農家がイチゴを生産されており、うち2軒が4つのハウスを生育状況に合わせ、ローテーションさせながらイチゴ狩りを実施されているのだそうです。

 

 

今日は悪天候ということもあって、比較的空いていました。晴れた休日なら駐車待ちのクルマの列が出来、午前中で入園打ち切りになることもあるのだとか。県外からも結構いらっしゃるそうです。

 

 

さて前説はほどほどにして、早速「狩り」に出掛けましょう!

 

 

イチゴが鈴なりです。

 

 

ハウスの中には、程よく色づいたイチゴでいっぱい。もちろん甘酸っぱい香りもいっぱいです。

 

 

さらに驚くべき事実が・・・

 

 

コレ、娘がいきなり摘んできたイチゴです。

 

 

デカい!とにかくその巨大さに驚愕・・・

 

 

章姫(あきひめ)という品種なのですが、店頭に並ぶ商品でこの大きさは有り得ません。まさしくこれぞ、“狩り”の醍醐味です(^^)

 

 

でもここでぬか喜びは禁物!「大きな食べ物は、得てして“大味”」という定説があります。実際に賞味するまでは油断すまい・・・と思いきや、期待を裏切るこの美味さ・・・絶品です(^^)v 

 

 

ショートケーキ用のイチゴは酸っぱいですし、贈答用の高級品はどことなく作為的な甘味が否めません。でもこれはハウス栽培でありながら、酸味と甘みのバランスがとても絶妙な逸品に仕上がっています。イチゴ狩りの本場・静岡にも負けないと実感しました。

 

 

可憐な花も楽しめて、とても充実した時間を過ごせました。

 

 

もちろん我が貧乏性家族一同は、節操なく、アホほど、しこたまイチゴを頬張りましたけど(^^)

 

 

ちなみに・・・イチゴの花言葉ってご存知ですか?

 

 

「尊敬と愛」「幸福な家庭」・・・私たちにピッタリです(^^)

 

 

その後節操の無さが災いしてか、家族一同とてもトイレと急速に超良好な関係となる羽目に・・・(>_<)

 

 

どうもイチゴには利尿作用を促進させる効果があるようです。まぁフツー、利尿を促されるほどイチゴは食べませんよねぇ(苦笑)。

 

 

まぁお腹が冷えたので、ちょっと温かい食べ物でも・・・と、またもや急遽「ハシゴうどん」ツアーを敢行することに!以前から気になっていた東近江市は五個荘エリア、重要伝統的建造物群保存地区として名高い金堂界隈にあるうどん屋さんの食べ比べに舵を切りました(^^)

 

 

まずは1軒目、“めんめんたなか”。

 

 

注文しましたのは日替りメニューの「穴子丼定食」です。

 

 

お目当てのうどんは昆布のお出汁がとても利いていて、とても上品な仕上がり。

 

 

穴子丼も去ることながら、小鉢の煮物や香の物にも一切妥協がありません。

 

 

注文を受けてから仕込まれるので少々お時間を要しますが、待った時間に見合う味であること請け合いです。

 

 

あれだけしこたまイチゴを食べて、その上うどんを食べたにもかかわらず、「次行こっ!次っ!」と言ってしまう我が家族・・・恐ろしいです(>_<)

 

 

2軒目、“うどんと喫茶の店 いっぺき”。

 

 

注文しましたのはここのイチオシメニュー、「てんびん御膳」です。

 

 

ボリョーム、凄いです!しかも、安いです!だからといって手抜きは一切ありません。あっさりとした出汁に、とてもコシのある麺。世代を問わず、嫌味なくいただける味です。ただこのボリュームは、世代を問うでしょうねぇ(^^)

 

 

ちなみに写真には写っていませんが、食後に特製アイスクリームが付いてきます!

 

 

これにてミッションコンプリート!帰宅の途に就きました。

 

 

でも・・・よくよく考えたら、うちの家族・・・エンゲル係数高すぎですよねぇ(>_<)

 

 

田口イチゴ狩り園

・滋賀県東近江市曽根町地先
・TEL.0749-46-1110(道の駅あいとうマーガレットステーション)
・開園期間/3月17日~5月下旬頃(イチゴが無くなり次第終了)
・開館時間/9:00~16:00 (先着順)
・休園日/毎週火曜日
・制限時間/45分食べ放題(園外持出厳禁)
・入園料/中学生以上 1,200円/3歳~小学生 1,000円
・ホームページ/http://www.aito-ms.or.jp/  

 

めんめんたなか

・滋賀県東近江市五個荘金堂町845
・TEL.0748-48-7338
・営業時間/11:00~14:30・18:00~22:00(麺が無くなり次第閉店)
・定休日/毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

 

うどんと喫茶の店 いっぺき

・滋賀県東近江市五個荘金堂町481
・TEL.0748-48-7210
・営業時間/11:45~16:00
・定休日/月曜日・火曜日・祝日の翌日

 

 

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花嫁が消える怪奇!“嫁取橋”の伝説

4月 25th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回は花嫁が消えてしまうという怪奇、嫁取橋(よめとりばし)についてのお話をいたしたいと存じます。

 

 

東近江市の旧八日市・五個荘エリアに建部(たてべ)と呼ばれる地区があります。現在は「建部〇〇町」といった形で行政区画が細分化されていますが、かつては建部荘・建部村と呼ばれていました。

 

 

この建部の地に吉住池(よしずみいけ)、通称・日吉溜(ひよしのため)と呼ばれる溜め池があります。

 

 

3月7日更新記事の“ハナノキの伝説”でも少し触れましたが、ここ池の西側にある箕作山の瓦屋禅寺は、河内國の四天王寺創建の際に瓦を製造した拠点として造営されました。

 

 

またこの日吉溜は、瓦に使用する土を掘ったため出来たものであると伝えられています。

 

 

その池に通じる細い川に、とある石橋が1つ掛かっておりました。

 

 

昔々、信濃國(現在の長野県)に兵左衛門と近江國・甲賀に太郎右衛門という人物がおりました。2人は若い頃からとても親しい間柄にありました。

 

 

さて、太郎右衛門には17歳になるお菊というそれは美しい娘がおりました。その美貌は近隣でも評判で、「甲賀小町」とまで呼ばれていました。

 

 

かねてよりお菊の評判を耳にしていた兵左衛門は、「是非うちの息子の嫁に」と太郎右衛門に申し出ました。

 

 

この縁談話はトントン拍子に進み、大層な嫁入り道具を整えて、はるばる信濃まで輿入れをすることになりました。

 

 

春三月のうららかな佳き日、花嫁を輿(こし/人を乗せ人力で持ち上げて運ぶ乗り物)に乗せて甲賀を出立。花嫁行列は御代参街道(ごだいさんかいどう)を通り、日吉溜のこの石橋に差し掛かろうとしておりました。

 

 

すると橋の上に1人の少女(一説には老婆)が両手を広げて行く手を遮り、何やら大声でわめいています。

 

 

何を言っているのかと近付くと、「いま池の中で龍神様の祝宴が行われているので、それが済むまでこの橋を渡ってはならぬ」と大声で叫んでいるのです。

 

 

「何を馬鹿げたことを…ここは天下の大道である。そこを退け!邪魔をすると叩き切るぞ!」と脅しましても一向に動こうとしません。怒り心頭となった太郎右衛門は、とうとう刀を抜いてその少女を真っ二つに切ってしまいました。

 

 

すると瞬く間にその少女の姿は消え失せ、のどかな春の池の景色に戻りました。そして橋の上には金襴織の丸帯が1つ、置かれてありました。

 

 

「これは珍しい丸帯だ、戴いていこう」と太郎右衛門は帯を長持(ながもち/衣類や寝具の収納に使用された長方形の木箱)に納めて出立しようとしたその時です。妙に花嫁の興が軽いのです。不思議に思い輿の中を見ますと、何と乗っている筈の花嫁の姿がどこにもありません。

 

 

すると、何処からともなく「花嫁はたしかに頂戴した。礼の印に金欄帯を進上する」との声が聞こえてきました。花嫁は池の主に盗られてしまったのです。

 

 

この変事に一行はびっくり仰天!腰も抜かさんばかりで、輿も何もかも投げ捨てて逃げ帰ってしまいました。

 

 

これ以降この石橋を嫁取橋と呼び、絶対に花嫁の行列を通さないこととしました。

 

 

また龍神様の怒りを恐れた近隣の村人たちは日吉溜の主をご神体として崇め、“日吉澤早慧龍神(ひよしざわそうけいりゅうじん)”としてお祀りしました。そして毎年7月25日に祭祀を執り行い、村の安泰を祈念したそうです。

 

 

現在、御代参街道であった道路にこの石橋は残っていません。

 

 

なお東近江市建部日吉町にある日吉神社の参道近くにある石材が、かつての嫁取橋であったと言われています。

 

 

「急いては事を仕損じる」という教訓ですね。

 

 

来るゴールデンウィークは、家族と共に県内各地へフィールドワーク(取材散歩)に出掛ける予定をいたしております。充電期間ということで、次回更新は5月9日となりますのでお楽しみに!

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年4月26日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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神と人とをつなぐ虹の架け橋“帯掛ケンケト祭”の伝説

4月 18th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回は滋賀を代表する春の奇祭の1つ、帯掛ケンケト祭(おびかけけんけとまつり)についてのお話をいたしたいと存じます。

 

 

帯掛ケンケト祭は東近江市蒲生岡本町(がもうおかもとちょう)の高木神社、上麻生町(かみあそちょう)の旭野神社、下麻生町(しもあそちょう)の山部(やまべ)神社の三社合同で行われます。

 

 

祭の起源は何と800以上前までさかのぼるといわれ、国の選択無形民俗文化財にも指定されています。

 

 

滋賀には他にも竜王町・杉之木神社、甲賀市土山町・瀧樹神社にもケンケト祭がありますが、こちらでは木製の大太刀に7本の鮮やかな柄の丸帯を掛けた「帯」が用いられるためそう呼ばれています。

 

 

日本創生、神代の時代のお話です。

 

 

当時、天照大神(あまてらすおおみかみ)により高天原(たかまがはら)から地上へ追放された乱暴者の神様がおりました。

 

 

その神様は出雲國(いずものくに/現在の島根県)を拓かれて勢力を拡大し、近江國にも開拓のためその一族の神様がやってこられました。

 

 

蒲生野に麻生庄(あそのしょう)というところがありました。

 

 

この土地にまもなく神様がやって来られるということで、各集落の長は何かと気を揉んでおりました。

 

 

お迎えの準備も整い、いよいよお出でになるという頃。

 

 

折からの豪雨で日野川が氾濫し、橋が流されてしまったのです。

 

 

国造りに忙殺されている神様のことですから他の集落に出向いてしまわれるのではと心配した村人たちは、急いで橋を補修することにしました。

 

 

しかし今から資材を調達したのでは間に合いません。

 

 

そこで男女の着物の帯を持ち寄って、木太刀1本に7筋ずつしっかりと結び付け、それを7本用意して仮の橋を造り上げたのです。

 

 

やがてこの地を訪れた神様は、この仮の橋をご覧になり大層お喜びになられました。

 

 

そして村人たちに、この地をより豊かなものにすることを約束されたのです。

 

 

これまで麻生庄は狩猟が主な生活の糧でしたが、神様は持参された稲の種を蒔かれたり、薬草を栽培されたり、水路を整備して農地を拓き、農耕の指導までなされました。

 

 

この神様こそ、“因幡の白ウサギ伝説”で名の知れた大国主命(オオクニヌシノミコト)でした。

 

 

 

 

集落の長たちは大国主命の偉業を称え氏神として祀り、その遺徳を後世に伝えるため帯掛ケンケト祭を行っているのだそうです。

 

 

 

 

ちなみにこのお話には異説が2つ存在します。

 

 

 

1つはこのお話のメインキャストが大国主命ではなく、奈良時代に平城京と東大寺を造営した聖武天皇(しょうむてんのう/第45代天皇)であるというもの。養老7(723)年の行幸が契機というもの。

 

 

もう1つは江戸時代の話。

 

 

関ヶ原合戦で東軍に与し、後に彦根の地を領することとなる井伊直政とともに戦功を挙げた関一政(せきかずまさ)は、徳川政権下で伯耆國(ほうきのくに/現在の鳥取県)・黒坂藩の藩主となりす。しかし元和4(1618)年、家中内紛を理由に改易。

 

 

御家断絶かと思われましたが、徳川家への貢献が考慮され家名存続が認められます。養子の関氏盛(せきうじもり)は、5,000石の旗本寄合席(はたもとよりあいせき/無役の上級旗本の家格)として蒲生郡を知行地とすることになりました。

 

 

氏盛は中山村(現在の蒲生郡日野町中山)に陣屋を構え、以降幕末まで関家が蒲生14ヶ村を治めました。

 

 

ある日のこと。氏盛が知行地となった麻生の村を巡検することとなり、村人は歓待の準備を整えました。しかし、日野川が氾濫して板の橋を全て流してしまいます。

 

 

困った村人は村中から立派な帯を7本掻き集め、急遽これを川に渡して帯の橋を作り上げたのです。

 

 

 

この見事な帯の橋を見た氏盛は大変満足し、麻生の村が幸福になるよう手厚い保護を与えたといいます。

 

 

 

この時から、帯の掛橋が村に貢献したことを忘れぬために、麻生へ嫁入りする者は何がなくとも帯だけは立派なものを持っていく定めになったそうです。

 

 

さて祭の最大の見せ場ですが、高木神社や旭野神社の境内で「七人子供」と呼ばれる年少の7人の子供がカンカという囃子(はやし)を奉納し、ケンケト組という年長の若者たちが長刀振りをするシーンです。

 

 

カンカの7人は鉦(しょう)や太鼓などを打ち、ケンケト組は紺半纏(こんはんてん)に黒角帯、脚袢(きゃはん)という装いで、長刀を持って踊ります。

 

 

長刀を自由自在に振り肩の上で回したり、両手で持った長刀を前後に飛び越えたりする光景はまさに曲芸そのものです。

 

 

この神事は三社と掛橋の場と呼ばれる日野川近くの“レッケバ”を、渡御しながら行われます。

 

 

 

その際に、色鮮やかな七本木太刀の帯の渡りも見ることができます。

 

 

 

今年は4月22日(日)に祭事が行われる予定です。とても静かな町で行われる絢爛豪華なお祭りですので、是非足をお運びください。

 

 

今回の記事編集に情報並びに写真をご提供いただきました東近江市教育委員会文化財課様、東近江観光協会の西さん、「Nanidoko淡海」の鯉鮒鮎さん、「祭礼探訪」の風太郎さん。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年4月19日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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大地の恵みを一瓶に凝縮“ジャム工房 あーすふろあ”

4月 11th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

飽食大国日本”…いま時代は“たくさん食べたい”から“美味しく食べたい”にシフトしています。まぁ私が改めてそんなお話をする必要もないのですが…(*^_^*)

 

 

先日、前々から妻にせがまれてとある“ラーメン店”に足を運びました。“ラーメンの世界”と言えばまさに戦国時代。中途半端な店はたちまち淘汰されていくという厳しいご時世です。

 

 

営業時間は家族連れにとってとても利用しにくい時間帯。居酒屋の後に入ったテナントということで余り気乗りがしなかったのですが、まぁ“モノは試し”“机上の空論は邪道”ということでイザ入店!

 

 

結果、ダシのミソもクソも混ぜ合わせたような絶妙…いやいや微妙な味わい。おまけに大量の人工調味料で舌がしびれる始末。最後は夫婦でおトイレとお友達……惨憺たるものでした。

 

 

ベロベロに酔っぱらって味覚が麻痺した人がシメに食べるのならいいのでしょうけど、今時こんな時代錯誤な味付けしているなどとは正直驚きました。

 

 

さて前置きはこのくらいにしまして、今回はラーメン店の紹介ではございません(^^)

 

 

皆さんは食パンに何を付けて食べておられますか?バター、マーガリン、ジャム、チョコレート、ピーナッツバター、マヨネーズ、ケチャップ…それとも何もなしでしょうか?今回は個人で“自然の甘みと風味”にこだわったジャムづくりをされているお店をご紹介いたします。

 

 

彦根市のほぼ中間点。

 

 

甘呂町(かんろちょう)を縦断する旧巡礼街道(県道2号)から1本琵琶湖(集落側)よりの通り沿い。

 

 

こちらに、ジャム工房あーすふろあがあります。

 

 

他の田舎にある日本家屋の民家と違って、木目調のお洒落な建物が目印です!…といいつつもオーナーさん曰く、よく迷われるお客様が多いのだとか(*^_^*)

 

 

入口にはお手製のメッセージボードがお出迎え。

 

 

 

今月の新作”と書かれてありますね。

 

 

 

こちらでは毎月、新作や限定のアイテムが提供されているのです。

 

 

 

それでは早速お邪魔してみましょう。

 

 

 

ジャムジャムジャム……まさに“ジャムだらけ”です、当たり前ですが(笑)。

 

 

店内では、通常約50~60種類のジャムを販売されているそうです。

 

 

「じゃあ何故一部しか写真に撮って来ないのか?」とのご指摘、ごもっともでございます。

 

 

実は日曜日しかオープンされていないのにも関わらず“売切れアイテム続出中”でして、完全手造りのため生産が追いつかないのだとか。

 

 

あまりにも「歯抜け状態は忍びない」ということでこのアングルなのです。
ご容赦くださいませ<(_ _)>

 

 

こちらのジャムのこだわりは、この4点!

◆果実は全て無農薬・低農薬栽培・有機農法・EM農法などで生産された国内産を使用!
◆合成ペクチン・着色料・保存料などの人工添加物を一切不使用!
◆ペクチンが少ない果実には柑橘類等から抽出した自然の自家製ペクチン液を使用!
◆砂糖の量を控えて果実本来の甘みを最大限に活かした自然の甘み!

ここで豆知識。

 

 

なぜジャムにペクチンを加えるの?

 

 

あらゆる果物や野菜にはペクチンという成分が、植物細胞をつなぎ合わせる成分として含有されています。果物を糖分とともに煮詰めると、水に溶けたペクチンが果実中の酸との作用によりゼリー化します。

 

 

但し、果実の種類によってペクチンの含有量が異なるため、あの特有のとろみを出すために、わざわざ合成されたペクチンと糖分を加えるのだそうです。

 

 

市販のジャムの中で妙にドロドロで甘ったるいモノがあるのは、こういうことだったんですね。知りませんでした(@_@;)

 

 

 

そういった理由もあり、こちらの商品は無添加ですから果実の特性でそれぞれ粘性が異なるのだそうです。

 

 

また使用されている砂糖にもこだわっておられます。ここのジャムに使用されているのは、“洗双糖”と“ビートグラニュー糖”の2種類。

 

 

何やら聞きなれないお砂糖ですが…洗双糖は種子島産のサトウキビから抽出された糖液を濾過した後煮詰めて製造されたもので、ビタミン・ミネラルを豊富に含んだコクのある黒糖系。

 

 

ビートグラニュー糖は甜菜(てんさい/北海道で生産されている別称“砂糖大根”)から抽出された糖液を煮詰めて製造されたもので、やさしい甘みの白糖系。何れも天然素材100%のお砂糖なのだそうです。

 

 

またこちらではシンプルジャムミックスジャムコンフィチュール(香りの楽しめるタイプ)・マーマレードの4タイプを提供されていますが、一番興味深かったのは“マーマレード”。通常マーマレードは柑橘系の果実の“皮のみ”を使用しますが、こちらでは果肉も一緒に煮込んで皮特有の苦みを抑えてあるのだとか。これは実に興味深いです。

 

 

ミックスジャムの組み合わせはどのようにしておられるのかお尋ねしますと、「それぞれの香りを嗅いで、感覚的に“合うな”と感じたら組み合わせます。ほとんど失敗したことはありません。」と仰いました。お~っ!まさにニュータイプ!(古い?)

 

 

いまご自宅でブラックベリーの栽培を始められているとか。

 

 

 

ブラックベリーは収穫期が約1ヶ月あるそうなのですが、程良い状態の実が少量ずつしか出来ず、また毎日収穫しないと直ぐに劣化してしまうので大変だとのことです。

 

 

彦根産ブラックベリージャム”、楽しみですね(*^_^*)

 

 

最後に驚くべき事実を1つ。こちらのオーナーさん、実は大変稀少な女性一級建築士でいらっしゃるのです。

 

 

ちなみにこの自宅兼店舗の設計も全てご自身が手掛けられたのだとか。

 

 

そして何を隠そう、設計のお仕事が本業です(顔出しはNGでしたが、とてもお綺麗な方です)。

 

 

木材をふんだんに使用し、木のぬくもりと薫りに溢れた空間…憧れます(TOT)

 

 

自分もいつかは……いや、私はもう年ですから次世代に期待しようっと(爆)。

 

 

あとこちらは(趣味の)果実酒の数々。

 

 

 

特別に拝見させていただきました。

 

 

 

むしろオッサンはこちらの方が……オッホン、失礼しました。

 

 

 

こちらは免許の都合上販売はされておられませんが、レシピはこっそり教えていただけるそうです。

 

 

で、最後にこちらが我が家のジャムコレクション!

 

 

私は食パンを食べる機会が少ないので、お砂糖の代りに紅茶に入れて、“フレーバーティ”として楽しんでいます。

 

 

 

クラッカーにのせて、ホームパーティーを気取るのもいいですね(どこかでそんなCMを視たような…)。

 

 

大地の恵みが一瓶にギュっと凝縮された“あーすふろあ特製無添加ジャム”。あなたの食卓にもおひとついかがですか?

 

 

※現在オーナーさんはご出産&育児のため、一時休業されております。もうまもなく営業を再開される予定ですので、詳しくは下記オフィシャルブログをチェックしてください<(_ _)>
↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://sumutokoro.blog82.fc2.com/blog-entry-183.html

 

 

ジャム工房 あーすふろあ

・滋賀県彦根市甘呂町385番地1
・TEL. 0749-20-9258
・営業日/日曜日
・営業時間/10:00~18:00
・HP/http://earthfloor.web.fc2.com/

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年4月1日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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佐川美術館“ブライアン・ウィリアムズ曲面絵画誕生展”

4月 4th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

学生時代から社会人になりたての頃は、理解の如何を問わず(笑)見聞を広めるためにあちこちの美術館や博物館を巡っておりました。バブルの時代は本当にレベルの高い展覧会が目白押しでした。

 

 

結婚してからは随分とご無沙汰しておりましたが、最近色々と見聞を広める契機をいただく御縁が増えて参りましたので、自身を始め家族全員の芸術水準向上作戦を展開することに決定!

 

 

今回はその第一部といたしまして、守山市の琵琶湖畔に程近い佐川美術館を訪問いたしました。実は私、生まれてこの方滋賀に住み続けていながら、お恥ずかしいことにここは“お初”なのです(^^)

 

 

琵琶湖大橋東詰から湖周道路を約1km南下し、湖岸水保町交差点をさらに約400m東へ進んだところにございます。

 

 

駐車場は少し狭いので、JR守山駅から佐川美術館行の近江鉄道バスを利用されるのが便利です(所要時間約30分)。私は自家用車で参りましたが、駐車車両は何故か超高級輸入車ばかり…ちょっと私、場違い感にさいなまれました(>_<)

 

 

この美術館は1998(平成10)年、佐川急便創立40周年を記念して開館しました。何と日本近代美術界の至宝である平山郁夫氏(日本画)と佐藤忠良氏(彫刻)の作品が中心となって収蔵されているのです。

 

 

コンセプトは「湖面を現代に再生させ、厳島神社をイメージした水庭に浮かぶ美術館。全体にモノトーン調で派手さのない平屋造り。切妻屋根の和風建築様式。」なのだとか。兎にも角にも敷地が広いです。

 

 

平山郁夫氏や佐藤忠良氏の作品も勿論素晴らしいのですが、今回は滋賀を中心として日本の原風景を曲面のカンバスに繊細且つ大胆に表現する、ペルー生まれのアメリカ人画家・ブライアン・ウィリアムズ氏の絵画展を目的に参りました。

 

 

ブライアン氏は1972(昭和47)年に世界を巡るスケッチ旅行で来日。その時に触れた日本の風景に感銘を受け、以降現在に至るまで日本に永住されているのだとか。1984(昭和59)年より大津市伊香立地区に居を構え、日本人を凌駕する感性で滋賀の美しい姿を写実的に表現されています。

 

 

曲面絵画は、ブライアン氏が2007(平成19)年に佐川美術館で開催された「琵琶湖の原風景-ブライアンのまなざし」展にて初公開したもので、多様性に富んだ自然の姿をダイナミック且つ透明感・空気感溢れるものに表現する独自の手法であるそうです。

 

 

これを実現するために、なけなしのお金で建設機械や高所作業車を買ったというエピソードもあるのだとか。

 

 

芸術家はこだわりが凡人とは桁違いですね(^^)

 

 

展示ブースは原則撮影禁止ですので、掲載写真は図録所載のものを使用しています。

 

 

特に京都の清水寺をモチーフとした『錦秋清水』は彼の名を広く世に知らしめる代表作となったものです。

 

 

私は今回展示されている作品の中で一番印象に残ったのは、この『ブナ』です。

 

 

これは高島市奥朽木の原生林が描かれたもの。

 

 

その圧倒的な生命力の躍動感に、身体全体の血液が逆流するような感覚を覚えました(>_<)

 

 

当日予定には無かったようなのですが、急遽ブライアン氏が来館。

 

 

私が購入した図録へのサインにも快く応じてくださいました(^_^)v

 

 

また企画展鑑賞後、ひょんなことから京都市立芸術大学日本画研究室主催のワークショップに飛び入り参加!

 

 

何と絵心の全くない私が、人生初の水墨画にいきなり挑戦するハメに…

 

 

 

さて如何ですか、私の作品の出来栄えは?

 

 

 

犬に見えます?あっ、タヌキじゃないですよ(爆)。

 

 

この企画展は4月8日(日)までとなっております。

 

 

また最終日には、特別にブライアン氏によるウォーク&トーク(館内や展示室を歩きながら巡るギャラリートーク)が催されます。ブライアン氏の人となりに触れるまたとない機会ですので、是非この週末お出掛けください。

 

 

公益財団法人 佐川美術館

・滋賀県守山市水保町北川2891
・TEL.077-585-7800
・開館時間/9:30~17:00(入館は16:30まで)
・入館料/一般 1,000円/高校・大学生600円
・ホームページ/http://www.sagawa-artmuseum.or.jp

 

 

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中山道随一の絶景“磨針峠”の伝説

3月 28th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

江戸時代。京の都と江戸を結ぶ街道は、太平洋側を通る東海道と内陸部を縦断する中山道の2本がありました。

 

 

近江國(滋賀県)はこの2本の大動脈の何れもが経路としていたのですから、古くから交通の要衝として重要視されていたことが伺えます。

 

 

さて今回はかつてその幹線の1つであった中山道随一の景勝地として栄えていた 磨針峠(すりはりとうげ)についてのお話をいたしたいと存じます。

 

 

磨針は“摺針”とも表記されます。彦根市の鳥居本(とりいもと)町から米原市の番場(ばんば)へ抜ける途中に磨針峠はあります。

 

 

峠へのアプローチには国道8号沿いに石碑が立っていますので直ぐに解ります。

 

 

その昔、諸国を修業行脚していた1人の若い僧がこの峠をトボトボと登ってきました。

 

 

ようやくのことで若い僧は峠の頂上に辿りつき、神社の石段に腰を掛け一休みしました。

 

 

眼下にはさざ波きらめく琵琶湖が拡がります。そのすばらしい眺めに修業の苦しさもどこかへ消え、心が洗われるような気持ちになりました。

 

 

ふと横に目をやると、白髪の老婆が一所懸命に大きな斧(おの)を石に擦り付けて磨いています。若い僧はその老婆に、「お婆さん、いったい何をしているのですか」と尋ねました。

 

 

すると老婆は笑みを浮かべながら、「実は大切な針を折ってしまい、孫の着物も縫ってやれません。そこでこうして斧を磨って針にしようとしております」と答えました。

 

 

「そんな大きな斧は、そう容易く磨り減りませんよ」と若い僧は言いますが、「「どうしても針が欲しいもので…」と言って手を止めようとはしません。何とも不思議なことだと思っていたら、いつしか老婆の姿は消え、誰も居ませんでした。

 

 

若い僧は「これは神が自分に悟りを開かせるために、斧を磨って針にしようとする老婆の姿を見せたに違いない」と悟りました。

 

 

そして神社に向かって手を合わせると、再び修行の旅へと向かったのです。

 

 

後に数々の修行を終え立派になった若い僧は、いつしか弘法大師と呼ばれるようになりました。

 

 

弘法大師とは皆さんご存じ、平安初期に高野山(金剛峯寺)を開山し、真言宗の開祖となった空海のことです。

 

 

その後弘法大師は再びこの地を訪れ、神社に沢山のお餅を供えました。そして神社の境内に杉の木を植え、あの時老婆に教えられたことを次のような和歌に詠みました。

 

 

道はなほ 学ぶることの 難(かた)からむ

斧を針とせし 人もこそあれ

 

 

以来この峠を磨針峠、神社は磨針明神と呼ばれるようになりました。

 

 

 

弘法大師が供えたお餅は近隣の村の人々に受け継がれ、後に峠の茶屋として開かれた望湖堂(ぼうこどう)と臨湖堂(りんこどう)で、“するはり餅”として旅人たちに振る舞われたとのことです。

 

 

 

かつて物流の大動脈の1つとして大いに栄えた中山道ですが、時代の流れとともにその役割を終え、今ではひっそりとしています。

 

 

 

この絵は江戸時代、歌川広重が描いた『木曽街道六十九次』の1枚“鳥居本宿”です。

 

 

しかし“宿”とは名ばかりで、この絵には宿場の街並みではなく磨針峠が描かれています。それ程に当時はこの峠から眺める琵琶湖の絶景が全国的に有名だったのです。

 

 

またこの景勝の地にあった「望湖堂」「臨湖堂」の2つの茶屋は旅人に大変人気がありました。

 

 

特に望湖堂は参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節、はたまた江戸に降嫁する和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう/江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室)や明治天皇も立ち寄りました。茶屋と言いながらも建物は本陣構えで、「御休止御本陣」を自称する程のモノでした。

 

 

その繁栄ぶりに近隣の鳥居本宿と番場宿の本陣が寛政7(1795)年8月、道中奉行(江戸時代、五街道とその付属街道における宿場駅の取締りや公事訴訟、助郷の監督、道路・橋梁などの管理を取り仕切った役職)宛てに連署で、「望湖堂に本陣まがいの営業を慎むように」と訴えた程でした。いわゆる“ヤキモチ”“やっかみ”みたいなもんですな(^^)

 

 

ちなみに本陣とは、宿場で大名(お殿様)・旗本(幕府直属の武士)・幕府の役人・勅使(皇室の使者)・宮(皇族)・門跡(もんぜき/皇族・貴族出身の住職)などの宿泊所として指定された家のことで、原則一般の者が宿泊することは許されていませんでした。

 

 

後に臨湖堂は廃業し跡形も無くなってしまいましたが、望湖堂は残り往時の姿をよく留めていました。

 

 

しかし残念ながら平成3(1991)年の失火で、参勤交代や朝鮮通信使に関する多数の資料とともに焼失してしまいました。

 

 

弘法大師のお手植と伝えられる杉(弘法杉)は幹周8m、枝の長さは実に40mにまで成長しました。

 

 

しかし、こちらも残念なことに昭和56(1981)年12月の大雪で倒れ、現在は切り株しか残っていません。でも流石は霊木、こんなエピソードがあります。

 

 

この杉が倒れる半年程前。望湖堂の奥さんの夢の中に1人の僧が現れ、次のような歌を詠みました。

 

 

愚海(ぐかい)の海は荒れるとも 乗せて必ず渡しける

 

 

「大嵐になり幾ら海が荒れるようなことがあっても、私が救ってやるから安心するがよい」という意味なのですが、半ば安心はしたものの、そのうち何か大変なことが起こるのではと心配されたそうです。

 

 

そして昭和56年12月15日早暁。大音響とともに、家中がまるで地震のように揺れました。慌てて外を見ると、杉の木が倒れ玄関が塞がれていました。

 

 

これまで幾度となく風で枝が折れるようなことはありましたが、望湖堂の母屋の棟に当たったことは一度もありませんでした。あの歌の大嵐とはこのことかと思い、大惨事に至らなかったことにむしろ安堵されたそうです。

 

 

御神木ですから撤去してしまうことに反対意見もありましたが、結局撤去されることになりました。

 

 

 

ところが驚いたことに杉は撤去費用以上に高額で売却され、おまけに「磨針明神」の改修費用も捻出出来たのです。

 

 

また木を切ることになった2月はいつも北風が吹き付け大変寒いのですが、撤去に要した7日間だけは風も雲もない良い天候に恵まれたそうです。

 

 

更に望湖堂の屋根を改修した3月は、瓦屋が「3月にこんなによいお天気が続いたのは今までに一度もない」と驚くほど快晴だったとか。そんな不思議なことが続いたのだそうです。

 

 

夢に出てきた僧というのは、あの弘法大師だったのでしょうか…?

 

 

磨針明神は、現在神明宮として望湖堂跡横の山腹に祀られています。

 

 

 

ちなみに観光案内やブログ記事などで、本殿の周囲にある立派な杉の木を「弘法大師御手植杉」と表記されているのが散見されますが、これは誤りですのでご注意ください。

 

 

おまけエピソードといたしまして、源義経に美濃國青墓(現在の岐阜県大垣市)で成敗されたという伝説上の盗賊の頭領、熊坂長範(くまさかちょうはん)に磨針太郎という手下がいましたが、ここ磨針峠から名を盗った…いやいや、取ったと伝えられています。

 

 

中山道全盛期の賑わいの痕跡が、今でもそこはかと残る磨針峠。

 

 

現在は車道が通っていますが、かつての旧道も一部整備されて残っています。

 

 

そこを歩けば当時の“峠越え”の過酷さが肌身に感じ取れます(とてもこんなところを大名行列が通ったなんて思えません)。

 

 

体力に自信のある方は是非チャレンジしてみてください。

 

 

それにしても名物・するはり餅、和洋問わずスイーツ好きの私としては食べてみたかったですねぇ。

 

 

もち米100%の団子をこし餡で包んだ“あんころ餅”で、大名たちに出すものには砂糖がまぶしてありました(えこひいきっ!)。

 

 

一般の人でもトッピング料金を払えば、砂糖を付けてくれたのだそうです(ケチ!)。

 

 

まぁ当時、砂糖は貴重品でしたから致し方ないですね。

 

 

ちなみに、草津の銘菓「うばがもち」に比較的形状が似ていたとか…。

 

 

町おこしの一環として復刻してくれないかなぁ…そう思う“食いしん坊”な今日此頃です(^^)

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2010年12月24日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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国家安寧の願いを込めて“さざれ石”の伝説

3月 21st, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回はさざれ石についてのお話をいたしたいと存じます。さざれ石?…どこかで聞いた覚えがありますよね。

 

 

そう、日本の国歌『君が代』の一節に登場します。この時期この歌に接する機会も多いのではないでしょうか。でもこのさざれ石って、実際にどのようなモノなのか?ご存知の方は少ないかもしれません(教科書にも写真付きで紹介されていませんしね)。

 

 

さざれ石は「細石」とも表記され、小さな石の欠片(かけら)の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に変化したもので、石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)と呼ばれます。石灰岩が雨水で溶け、石灰質の作用により小石がコンクリート状に凝結して出来ます。

 

 

う~ん、言葉では解りにくいですね。写真で見ていただいた方が早いです(笑)。こんな感じで小石が固まったようなモノです。何とこの石、伊吹山(滋賀・岐阜の県境付近)でのみ産出するのです。

 

 

さて、公式に『君が代』は「題しらず、読人しらず」の歌で、古今和歌集に収録されている短歌の1つとなっています。しかし私のネタ帳にはこう記されているのです。

 

 

平安時代前期、文徳(もんとく)天皇の第一皇子に惟喬(これたか)親王(844~897)という人がおりました。聡明な人柄で知られ父・文徳天皇からの覚えもめでたい親王は、このまま皇太子となり皇統を継いでいくことを周囲から嘱望されていました。

 

 

しかし時の権力者で藤原北家全盛の礎を築いた藤原良房(ふじわらのよしふさ)が文徳天皇の女御(にょうご/側室の前身)として送り込んだ娘が懐妊し、惟仁(これひと)親王を出産。文徳天皇は良房に気兼ねして惟仁親王を皇太子とするものの、成人するまでは惟喬親王に皇位を譲ることを画策します。

 

 

しかし志半ばで崩御。良房の横やりも入り、惟仁親王は僅か生後9ヶ月で清和天皇として即位します。

 

 

その後の惟喬親王は数々の朝廷の要職を歴任するものの、皇族としては“蚊帳の外的存在”であることは否めず、後に出家し隠棲します。

 

 

 

また惟喬親王は木地師(きじし/ろくろを用いて椀や盆などの木工品を加工・製造する職人)としての才に秀でていたとされ、技術を伝授したという伝説は日本各地に残っています。

 

 

その最も有名な伝説の地が、東近江市君ヶ畑町です。“木地師発祥の地”とされ、現在でも木地師の伝統が受け継がれています。

 

 

 

なおこの地には親王を祀った大皇器地祖神社(おおきみきぢそじんじゃ)や墓所、住居跡も残っています。

 

 

さて親王の配下に殊原左衛門(ことはらさえもん)という、椀木地の仕事をしている人がいました。左衛門は仕事柄、美濃國春日村(現在の岐阜県揖斐川町春日)と君ヶ畑、そして京都を頻繁に行き来していました。

 

 

ある日左衛門は旅の途中、伊吹山系の川で綺麗なさざれ石を見つけ、それを歌に詠みました。

 

 

わが君は 千代に八千代に さざれ石の いわをとなりて こけのむすまで

 

 

左衛門はこの歌に、見つけたさざれ石を添えて朝廷に献上しました。

 

 

 

後にこの歌は古今和歌集に採用され、また左衛門は歌の才を認められて、朝廷より藤原朝臣石位左衛門(ふじわらのあそんいしいさえもん)の名を授けられました。

 

 

歌詞中のさざれ石は文字通り細かい石や小石の意味で、小石が巌(いわお/岩)となって、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、非常に長い歳月を表現するための比喩として用いられています。

 

 

そしてこの歌は一部改編され、1880(明治13)年に国歌『君が代』の原歌として採用されるのです。

 

 

『君が代』は“古臭くて嫌い”だの“某総理大臣が歌わない”だの“天皇制の讃美だ!”などと何かと論争のタネになっていますが、私は純粋に国家の安寧を願ったこの歌を守り続けたいな…と。

 

 

アレ?さざれ石のお話しが、いつの間にか国家論に飛躍してしまっている!…失礼いたしました<(_ _)>

 

 

このさざれ石ですが、産出地に近い岐阜県揖斐川町春日にある「さざれ石公園」を始め、意外にも多くの各地の神社に鎮座もしくは奉納されています。今回掲載した写真は多賀大社に鎮座しているものです。

 

 

鉱物としてはとても興味深い造形をしておりますので、『君が代』での経緯はともかく、是非見分してみてください。

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2010年8月27日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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“ひこにゃん”に「義兄存在疑惑」!…か?

3月 14th, 2012

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

まずもって、タイトルが“週刊誌的胡散臭さプンプン”であることをお詫び申し上げます<(_ _)>

 

 

ひこにゃん”…もうクドクドと説明する必要はございませんよね国宝・彦根城築城400年祭のイメージキャラクターにして、平成の“ゆるキャラブーム”の立役者

 

 

 

加えて1860年に起こった徳川幕府屈指のスキャンダルであった、彦根藩主にして大老の井伊直弼が暗殺された事件・“桜田門外の変”以来、“彦根”の名を全国に知らしめてくれた最大の功労者であります。

 

 

 

登場してから既に5年が経過しましたが、並居る後発“ゆるキャラ”の追随を許さず、今や不動の人気を確立しています。

 

 

さて“胡散臭いタイトル”の趣旨でございますが、別に後付けの設定で某リカちゃん人形の如く、“両親がいた”とか“恋人がいた”とかいう話ではございません(^^)

 

 

実は“ひこにゃん”誕生には、その“(いしずえ)となる存在”があったのです。

 

 

市民でも記憶している人は随分少なくなってしまいましたが、今から遡ること25年前の1987(昭和62)年。日本国有鉄道のJRへの移行、すなわち「国家機関の民営化」というこれまで経験したことのないコペルニクス的大転換を日本國民が迫られた(?)頃のお話です。

 

 

当時彦根では、その国鉄分割民営化が実施された4月1日を挟んだ3月28日から5月31日の65日間に渡り、彦根市制50周年を契機として『87世界古城博覧会』が催されておりました。

 

 

イベントテーマは「古城文化にスポットをあて、世界の古城をネットワークする古城街道を提唱する」。

 

 

パビリオンの設計・建築には建築界の重鎮“高松伸”、会場内の版画を芸術界の奇才“池田満寿夫”、テーマソングを音楽界の革命家“三枝成彰”といった各界のそうそうたるメンバーを起用(当時のバブリー振りが垣間見えます)。

 

 

私自身当時は大学に入りたてで、加えて博覧会自体に全く興味が無かったこともあり殆ど記憶がありません。ですが、自宅最寄りの片田舎の駅を米原や名古屋から来る臨時列車が折り返し運転していたのには驚きました。

 

 

結局、彦根市にとって成功したのか失敗したのかよく解らないうちに博覧会は終了。人々の記憶に殆ど残ることなく今に至ります。一説によると、彦根市の財政逼迫はこのイベントの影響が発端ではないかとのウワサも…真相は闇の中です。イベント会場の写真の1つでも無いものかとあちこち調べ上げたのですが、見つけることは出来ませんでした。ひょっとすると今年5月刊行予定の写真集『彦根・犬上・愛知の昭和』に所載されているかもしれません。

 

 

ようやく前説終了。ここからがお話の“本丸”です(笑)。

 

 

彦根がイメージキャラクターを展開したのは「ひこにゃんが“お初”」と思われる節が大半なのですが、実は何とこの『’87世界古城博覧会』にもイメージキャラクターがいたのです。

 

 

それではご紹介いたしましょう!

 

 

世界古城博覧会のイメージキャラクター、“城まる君です!

 

 

いかがですか?ひこにゃんの“義兄”キャラの印象は。“安直なイメージ”だとか“クオリティが低い”なんて言わないでくださいね(>_<)

 

 

当時はこれで良かったんですぅ(^^)

 

 

彦根城とその別称である“金亀(こんき)城”にちなみ、城郭と亀を合体させ擬人化させたもので、天守の兜(かぶと)と石垣の鎧(よろい)を纏った“カワイイ侍”がコンセプト。全体的に空色メインの仕上げとなっています。

 

 

でも現在の「ゆるキャラ乱発・乱造戦国時代」の中に加えても、引け目を取らぬ造形だと思うんですけどねぇ。

 

 

この城まる君、イベントが開催されていた現役当時は大阪の「御堂筋パレード」にも参加する程の大人気!

 

 

その後も平成の入りたてぐらいまでは市内のあらゆる広告媒体に活用されていました。

 

 

しかし現在は“ひこにゃん”だらけで、逆にそのよすがを見つける方が困難となってしまいました(2011年2月までは彦根商店街連盟のポイントカードのイラストに起用されていました)。

 

 

いわゆる“絶滅危惧種”ってヤツです。

 

 

さて、私の(巧妙且つ広範囲な)ネットワークからの情報によりますと、彦根市立図書館の倉庫に城まる君の“キグルミ”が保管(放置?)されていることが判明。

 

 

去る2011年12月8日、朝日新聞の『ますます勝手に関西遺産』でこの城まる君が紹介され、一躍多くの人々の記憶に呼び覚まされる(?)機会を得ました。

 

 

保存状態は決して良いとは言えないようなのですが、もし叶うのであれば“ひこにゃん”との共演を、彦根市民としては望むところです。

 

 

 

なお“城まる君”メモリアルオブジェクトは、彦根城内にあります金亀公園にひっそりと佇んでおります。

 

 

彦根へ観光にお越しの折は、是非“城まる君”にも逢いにきてやってくださいまし<(_ _)>

 

 

さて、ひこにゃん人気に気を良くした彦根とその周辺では、豊臣秀吉の知恵袋とも称された佐和山城主・石田三成の軍師“島左近清興(しまさこんきよおき)”をモデルにした『しまさこにゃん』や、彦根藩主・井伊直弼の次女“弥千代姫(やちよひめ)”をモデルにした『やちにゃん』をはじめ、いしだみつにゃん・ひこちゅう・カモンちゃんなど実に多くのゆるキャラを世に送り出しました。

 

 

特にこの2つのキャラは完成度も高く、地元でも比較的市民権を得た部類に属しますが、残念ながら何れもひこにゃんの追随を許す程の存在に成り得ていません。

 

 

 

何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』といったところでしょうか。

 

 

いけいけドンドンで乱発したこともあるでしょうが、ひこにゃんには猫をモチーフにする相応の理由が存在したのに対し、他のモノは明らかに「ひこにゃんのキャラクター性を模倣した」に過ぎないというのがゆるキャラファンに見透かされてしまった感がございます。

 

 

これからの“ゆるキャラ”には、明確なコンセプトとキャラクター&ストーリー性が強く求められるのだと思います。そうそう“2匹目のドジョウ”なんていやしませんから…(>_<)

 

 

そういえば今日は“ホワイトデー”。バレンタインデーに沢山の贈り物を貰ったひこにゃんは、ちゃんとお返し出来ているんでしょうかねぇ?(^^)

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2010年10月15日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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